SHADOW OF COLOR 板東里佳展

SHIBATA ETSUKO GALLERY

2009

 
 

板東里佳展ーShadow of Color                                                   柴田悦子  2009/02/10

 四日前まで摺っていたというほかほかの新作を抱えて二年ぶりに板東里佳が帰ってきた。版画家・板東里佳とのご縁は2000年の個展-Streams of New York-に遡る。以来、二年に一度のペースで発表を続け今展で五回、早いもので十年に及ぶ道中となった。

 板東里佳は1961年東京に生まれ、1984年に渡米するとニューヨーク・アカデミー・オブ・アートで1990年まで彫刻を学び、その後2000年までアート・ステューデント・リーグ・オブ・ニューヨークでリトグラフのコースをとっている。

 在学中の1999年にJames R.&Ann S. Marsh・メモリアル・バーチェイス・プライズ ハンタードン美術館で賞を受けたのをはじめ、意欲的にコンクールやグループ展に出品して受賞。2000年からはいよいよ日本とニューヨークで個展を開催し始める。

 それ以降の目覚ましい精進ぶりはあえてここに書くまでもないが、作品世界の深まりとそれを支える高い技術力として結実し、緊密で浄化された世界へと私たちを誘う道標となったのである。

 私が見た作品の、最初はメイソン・ジャーシリーズだった。彼女がいつもいる台所からみた窓際の光景。そこにさりげなく置かれた保存用のレトロな瓶。その瓶に映り込むブルックリンの光景は、透明な光に満たされた美しい断片だった。清潔で、だからこそ少し孤独な陰影を感じたことも。

 次に見せてくれたのは、その窓を開けて下を見下ろしている構図だった。雪解けの道に車が付けた轍。その無作為な抽象の面白さを丹念に構成した作品や、白をいかに美しく見せるかに心を砕いた雪景色などの一連の風景シリーズである。

 また次には外に飛び出し満開の桜を描いた。桜のあでやかなピンクの隙間から無窮の空。これ以上ないというきりりと粋な桜花ー取材したブルックリンと北海道の桜はともに大輪で見事な姿だったという。

 友人の句に「雲を透き 花を透かして 降るひかり」というのがあるが、次に里佳さんが向かった先は光に一番近い雲。雲のドラマもまた見飽きないものの一つだが、「天使の階段」と英語で言われるところの、雲間の光に挑戦。雲を透かして光が織り成す一瞬のショーを白と黒で見事に表現した。

 前回はその光が地上に届いて地面に陰影を与える「木漏れ日」がテーマ。風のそよぎとともに一時も同じ姿を留めない揺れ動く形象を、ごく薄の手漉き和紙「阿波紙」に託して刷った。紙を洗濯ピンでつなぎ壁に添わせた展示とともに印象深い。

 こうした軌跡を経て、今回のテーマである「Shadow of Color」に至るわけだが、「光」を描くために木の「影」を丹念に描くという発想は、どこか東洋画の思想を思わせる。地面に揺れる木漏れ日から木の幹へ焦点は変わり、光が作ったシルエットとして樹々が表す情景をこれ以上ない位ほど緻密にとらえている。

 このように繊細にものごとを感じる人の常として、画面の隅々まで神経が行き届くよう仕上げるものだが、今展で私が感じた大きな発見は「余白」である。リトグラフの黒を白の幅をメゾチントの幅まで広げたいと技術に磨きをかけて来た板東里佳の仕事は、黒のニュアンスを広げるとともに、「何もない」とおもわせる「余白」の白にたどり着いた。

 手を抜いている訳ではなく、計算されつくした白の空間。白が空間として成立するためには、黒がよほど描けてなくてはならない。今展の制作を通して、そのためのあらゆる努力をした姿が偲ばれる。

 "Simple Gift" Pin Oak と名付けられた4連作ではこの「余白」が見事に生かされ、光が自在に樹々と戯れ、様々なムーブメントを作り出しているさまが見事に描かれている。鉛筆の風合いが出るように、インクの調整に気を配り、色の深度まで計算して版まで変え、しかもその努力の跡がみじんも作品にとどまっていない。これは凄いことだ。

 最初、なにげなく見えたものが時を追う毎に深みを増して、色んな姿を見せはじめるー一週間、この作品たちとともに過ごした私の実感である。これら今展の作品たちは「生き物」のように見る人の心を巻き込んで動き出すだろう。傑出した作品と思う所以である。